社殿 of 伊弉諾神宮|いざなぎじんぐう

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はじまりの島、はじまりの時。
古事記・日本書紀の神代巻に創祀の記載がある最古の神社

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本殿以下の諸殿群

pavilion_1.jpg明治初年から同20年にかけての官費による大造営で、最初に改築(新築)されたのが本殿で、明治9年に竣功しました。この本殿の後背には、伊弉諾大神の神陵があり神代から禁足でした。本殿の竣功に引き続いて、神陵の墳丘を覆うように二重に基壇を設け、真新しい本殿を神陵の真上に移築したのは、明治12年のことです。

本殿の形式は、三間社流れ造向拝付で、屋根の桧皮葺き(ひわだふき)は前方の幣殿と連結して、一屋根にみせている本殿大床下には、神陵に築かれていた数十個の聖なる石が格納されています。明治の大造営では、本殿のほか、拝殿、幣殿、正門、中門、翼廊、渡廊、透塀、正門と祓殿や齋館が整備され、官幣大社としての体裁が整うことになりました。

pavilion_2.jpg写真のキャプションを入力します。拝殿は、入母屋造で桧皮葺、舞殿を兼ねての桁行5間、梁間2間で柱のみの吹き放しの建物でしたが、昭和60年の改修で銅板葺にあらためられ、蔀戸が仕立てられました。


幽宮(かくりのみや)

pavilion_3.jpg日本書紀神代巻に「是以構幽宮於淡路之洲」とあり、神功をはたされた伊弉諾大神が、御子神の天照皇大御神に国家統治の大業を委譲され、最初に生まれた淡路島に帰還され、多賀の地に幽宮を構えて余生を過ごされたと伝えています。この地で終焉の時を迎えられた伊弉諾大神は、その住居の跡に神陵を築いて(現本殿の位置)お祀りされ、これが最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だとされています。


夫婦大楠(めおとおおくす)兵庫県指定天然記念物

pavilion_4.jpg写真のキャプションを入力します。樹齢900年を数える古木で、元は二株のものが、結合して一株に成長したという珍樹で、伊弉諾大神・伊弉冉大神の神霊の宿る御神木として信仰されています。江戸時代の地誌にも「連理の楠」として、その霊験が記され、今でも安産、子宝子授けや夫婦円満の祈願成就の信仰がいきています。


放生(ほうじょう)の神池

pavilion_5.jpg日本書紀神代巻に「是以構幽宮於淡路之洲」とあり、神功をはたされた伊弉諾大神が、御子神の天照皇大御神に国家統治の大業を委譲され、最初に生まれた淡路島に帰還され、多賀の地に幽宮を構えて余生を過ごされたと伝えています。この地で終焉の時を迎えられた伊弉諾大神は、その住居の跡に神陵を築いて(現本殿の位置)お祀りされ、これが最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だとされています。